押井学の映画はしばし難解でマニアックすぎて理解できないシーンが連続するという。

 『アヴァロン』などの作品を熱狂的に支持する人には好まれる理由はどうも『ウィザードリィ』の影響が強烈にあるらしい。

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 映像センスと音楽表現、そして時には「ギャグ」、時には「衒学的」「哲学的」に語られる独特の長台詞回し(「押井節」とも呼ばれる)は、一部から高い評価と支持を得ている。

 押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で「自分の作品の客は1万人程度でいいと思っている」、「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である。

 また、それに関連して「自分が普通の映画を撮ったところでなんら存在意義が無く、映画を発明するのが自分の役割」として、特に実写作品では実験的側面が強い傾向にある。

 職業監督として制作に入った作品は決められた予算でキッチリ納期までに仕上げることをポリシーとしていて、現に(現場が動き出す前に頓挫した作品を除き)殆どの作品で予算と納期を守る優れた管理能力を示している。

 しかしそうしたスタンスのため、公開に間に合わなくなると判断したシーンは、たとえそれが作画作業中であってもカットすることが少なくない。また、上映時間は90分前後から最長でも120分未満を理想としているため、ストーリー上余分と判断したシーンはコンテ段階で極力省かれる。

 そうした、ストーリー的な解りやすさよりも映画の完成度を優先する姿勢が、結果的に観客に難解な印象を与える要因の1つとも言える。 また、「映画は一回観ただけで解ったつもりになる必要があるのか?」と疑問も呈しており、「観るたびに違う印象を与えるように心掛けている」と語っている。

 押井守

 アニメファンにいわせれば押井学はマニアでコア・ファンが熱狂的に支持する作品を表現していて、盟友の宮崎駿は大衆的な作風で万人受けする作品を表現しているといえば分かりやすい。

 ゲームの世界でいえば押井学は『ウィザードリィ』のようなマニアックなRPGで宮崎駿は『ドラクエ』のようなポピュラーなPRGの方向性があるのに近いのではないだろうか?

 『ウィザードリィ』のフリークもどうも自分の遊んでいるWizは難解でマイナーでカルト作品であって万人受けしないという負い目もあるのだろうが、考えてみれば押井学の映画論みたいなものは宿命的にあるような気がする。

 自分も押井学のことはよく分からないアニメ作家だと思っていたのだが『アヴァロン』とかの作品もデビット・リンチ作品のような謎めいた構成で1度見ただけでは全体像や全貌は全くわからないが、何度も『アヴァロン』を鑑賞していると突如、面白くなるようなSFの地下迷宮のような映画なのだろう。

 押井学が観るたびに違う印象を与えるように心掛けているとか、自分の映画は1万人がみて納得できれば充分といえるというポリシーがあるのだが、どうもこの辺の考えはゲームでいえばまさに『ウィザードリィ』的なものだろう。

 『ウィザードリィ』も昔は遊ぶたびに新しい発見もあるダンジョン型RPGではあったし、『ドラクエ』に比べると1万人が熱狂的に遊ぶようなマイナーでありつつもコアなファンが集うゲームではあったと思うのだが。

 押井学の創作の原点は『ウィザードリィ』ということが最近、分かるようになると『アヴァロン』のようなSFロボットアクション映画もまた、何度みても新しい発見があるということも時間をかけて推理小説のように分かってくる魅力もあるのはもちろんあると思えてもくる。
 

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  押井学の映画の良さが分かるまでには時間がかかるような性質があることは否定できない。