アメリカのウィザードリィの狂王の試練場はレベル13でワードナを倒せば終わりだったという。
ワードナのまよけを入手して城に持ち帰ればエンディングでゲームの物語は終了なので村正やしゅりけんや聖なる鎧が出るまでプレイヤーが粘る、ということはなかったらしい。
あくまでAppleのしょぼい画面やグラフィックでは『ウィザードリィ』もレベル13で終了!でエナジードレインを食らえばリセットはしないし、カント寺院で死者がロストして埋葬になってもそれは仕方がないな・・だった遊び方だったようなのだが。
しかし、どうも日本の『ウィザードリィ』のファミコン版の移植が良すぎたのか、日本人はやりこみ『ウィザードリィ』でレベル50で10回攻撃とか三種の神器を全部集めてアイテムコンプリートとリセット技が標準プレイみたいになってしまったらしいのだ。
日本の『ウィザードリィ』のFC版が出来がよすぎて、ロバート・ウッドヘッドも素晴らしい!と歓喜の声だったし、モンスターデザインは末弥純で音楽は羽田健太郎となれば芸術的なRPGでデジタルアートで余りにも質が高いゲームですごい・・・と魅力をひきつける神移植みたいになって日本の『ウィザードリィ』はアメリカとは別の遊び方になったのだろう。
一からやるにはバランス厳しすぎるし、 キャラクタを転送して・・・というのだと みんなターボファイル買えってわけにはいかないでしょ?
そもそもアメリカ人と日本人とではやり込み具合が違ってさ アメリカ人だとレベル13でワードナ倒しておわりなんだけど 日本人はガンガンレベルを上げるわけ、 そうなるとバランス取りようがないんだよね。
で、#3(リルガミンの遺産)を先に作ったわけ。
代表 代表 レベルをガンガン上げる気になるのも ファミコン版のアレンジゆえって部分もありますよね。
遠藤御大 御大 3つめ作る頃になると ウッドヘッドも「オマエたちなら任せてもいい」 って好きなように作らせてもらえるようになったんだけどね。
代表 ははぁ。なるほど。 2作作って信用を得て初めてシステムいじれたわけですね。 ファミコン版はホントにめちゃめちゃ大胆なアレンジでしたよね。 遠藤御大 御大 うん、あれは大胆だったよねぇ。
ウィザードリィ まずは名作と名高いGS製ウィザードリィについて、裏話とか色々。
今もFC版のマニアもいるし、PS版でも続編がイメージが違う!でも発売されていて日本では『ウィザードリィ』はアメリカとは違った完璧主義にような遊び方になったらしいのだが。
海外では『ダイヤモンドの騎士』でシナリオ的にこけていて#4の『ワードナの逆襲』で完全にクソゲーというかバカゲーというか、大失敗作の内輪ゲーで酷評されたのが『ウィザードリィ』のアメリカの姿だったらしいのだが。
続編の「ダイアモンドの騎士」が超のつく駄作になったのは、エキスパートルールを適用しないまま、安易に13レベル以上を対象としたシナリオを設定したか らである。自分で作ったシステムをもう否定しているのである。結果として敵キャラもアイテムもパワーインフレを起こしてバランスは崩壊した。
メイジの無力 化などといった現象はこのとき既に起こっていた。戦士系が完全に優位になり、メイジはメイジのままで居られなくなった。転職しても若返りが容易なことがその傾向に拍車をかける。
「災禍の中心」や外伝などの愚行は「ダイアモンドの騎士」の過ちを繰り返しているにすぎない。
FC版の移植に当たって最大の焦点に なったのは、このコンバートによるバランスの崩壊を上手く回避することにあった。シナリオバランスを再調整し、スタートレベルを1に戻すことによってこの 問題は一応回避されたように見えたが、バランス崩壊アイテムがゴロゴロしているので完全に問題が解決したわけではない。
やはり問題の原因はシナリオそのも のにもあるようだ。実際アメリカ本国では、シナリオ2は手抜きシナリオとしての妥当な評価をされているようだ。
Wizardryの黄昏
日本の場合、こけたシナリオの『ダイヤモンドの騎士』をFC版はレベル1から遊べてデーモンロードのような隠れボスもワードナのようにいて、経験値もどんどん入ってともかく『ウィザードリィ』は遊べたゲームだったのだ。
失敗作で有名な『ワードナの逆襲』はFC版では発売されず、逆に『ウィザードリィ』はすごいRPGだとなってゲームクリエーターに多大な影響を与えてしまったのだろう。
でも・・アメリカでは『ウィザードリィ』はシリーズを重ねるごとに劣化して、#4で大きく失敗して、#5で少し持ち直して#1に近くなったが、どうも全体的にうまくいかないPRGの烙印を押されてBCFのような全く違った雰囲気の新作でリニューアルしなければならない事情があったらしい。
アメリカでは13レベルでいつもシナリオは終わっていてそこから先のレベルアップは辛すぎたが、FC版のようなゴージャスなウィザードリィとなればガンガンレベルアップしないと気がすまないような中毒性があったのでしょうな。
末弥純×羽田健太郎=ウィザードリィは傑作が日本で定着してしまったようでもあるが。
ああ!そうだったのか!
元々RPGもコンピュータゲームもアメリカ文化の産物で、ウィザードリィはアメリカ人にとって、たくさんある面白いゲームのうちのほんの一つに過ぎなかった。だが日本人にとっては敷居の高い洋ゲーとしての希少価値が非常に高かった。日本人がウィザードリィという同じゲームをあれだけしつこくやり込んだ背景には、日米の文化的差異があったように思われます。